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『ココ・シャネルの言葉』山口路子2017年 読書レビュー

今週のお題「最近おもしろかった本」

おはようございます。
本日の読書レビューは、2017年に出版された山口路子さん『ココ・シャネルの言葉』です。
ヤル気がなくなったり、物事を後回しにしたり、なかなか自分の目標や理想に近づけずに、悩むことはありませんか?
そんな時、女性でありながら、一代でファッション帝国を築いたシャネルの成功哲学が、私のヤル気スイッチを押してくれます。

孤児院からのスタート

シャネルは幼少の頃、母親を亡くしました。
行商人をしていた父は、生活が苦しく、男手一つで子供を育てる術がなく、シャネルを捨てて姿をくらまします。
一人ぼっちになったシャネルは、カトリックの孤児院に引き取られ、修道女たちの厳格なしつけとともに育ちます。 

シャネルは最初、歌姫だった

18歳になると、孤児院を出なければならず、軍人が集うナイトクラブで、歌を歌っていました。
小柄で華奢な容姿のシャネルは、美しく、人気歌手となります。
そのうち、お金持ちのパトロンができ、生活も安定しはじめました。

最初の恋人はシャネルではなく貴族娘と結婚

シャネルは恋多き女性としても有名ですが、付き合った男性は、一流の人たちばかりでした。
最初の恋人は、実業家でした。
彼の援助で、帽子店を開き、シャネル帝国の礎を築きました。
しかし、その彼は、フランスのある貴族の娘と結婚してしまいます。
実業家として名を馳せるためには、野心的なシャネルよりも、育ちの良い貴族娘の後ろ盾が必要だったようですね。

シャネルが本気で結婚を望むと遠ざかる?

シャネルは、生涯、独身で通しましたが、人生で2度、婚約してことがあるそうです。
最初のフィアンセは、結婚を目前にして、事故で亡くなってしまいました。
その頃、シャネルは、パリで小さなアトリエを持ち、新しいファッションデザイナーとして、注目されはじめていました。

その後、パリ在住のロシア人貴族、ジャン・コクトーなどの詩人、画家、実業家と、常に恋人がいました。

50歳を過ぎてから、年下のある男性と恋に落ちました。
その男性と、休暇で南仏に旅行した際、一緒にテニスをしていたのですが、彼は急に心臓発作を起こして、帰らぬ人となりました。

シャネルの快進撃が続く

シャネルは最初に、ジャージー素材を、プレタポルテに取り入れたデザイナーとしても有名です。
当時、ジャージー素材は、ジーンズと同様、作業服に使われる生地でした。
しかし、伸びが良く、体にフィットして、着心地が良いので、シャネルはそこに着眼して、シンプルなワンピースやスーツを考案したのです。
シャネルが生きた時代、まだ女性のファッションは、コルセットをして、レースがたっぷりのロングドレスが主流でした。
頭には羽飾りがたくさんついた、重い帽子を被ります。
シャネルは、それらは全て、ムダだと思い、シンプルな帽子作りから始め、洋服やスーツにも反映させました。
そして、女性がまだパンツ(ズボン)をはく時代ではなかったので、女性のパンツルックを登場させたのも、シャネルだったのです。

イミテーションアクセサリーもシャネルの考案

今の時代、本物の高価な宝石を身に着けるのは、一部の人となり、ほとんどの人が、イミテーションアクセサリーを愛用していることでしょう。
しかし、シャネルの時代の女性たちは、高価な宝石を身に着けることがステイタスでした。
シャネルは、イミテーションの豪華なアクセサリーを作り、ジャンク・パールの三連ネックレスなどを流行らせました。
洋服や帽子のデザインはシンプルだけど、豪華なイミテーションアクセサリーで、華やかさをプラスするといった今日のファッションスタイルの礎を築いたのです。

ツイード生地を女性ファッションに

秋冬になると、ツイード生地の洋服を楽しむ女性も増えましたね。
皆様も、一枚ぐらい、お手持ちのアイテムにあるのではないでしょうか?
このツイード生地を、女性ファッションに取り入れたのもシャネルだそうです。
ハイブランドの《シャネル》の洋服は、さすがに買えませんが、今のファッションには、シャネルの考案のものが、かなり浸透されているのです。

 

71歳でモード界にカムバック

シャネルは、何かをやり始めるのに、年齢は関係ない!
と言い残しています。
56歳で、メゾンを締めて、スイスで隠遁生活に入りますが、2人目のフィアンセが亡くなったこともあり、シャネルは老け込んでしまいました。
そして、長い沈黙の後、71歳でモード界にカムバック!
現在残っている、ハイ・ブランドとしての《シャネル》の店舗は、シャネルのカムバック後のものを受け継いでいます。
シャネルスーツも、その時に考案されたとも伝わっています。

87歳でホテル・リッツのスイートで逝去

シャネルは、日曜日以外は、ずっとサロンで働いていました。
住まいは、豪華なアパルトマンを引き払い、晩年はホテル・リッツのスイートに住んでいました。
1971年1月10日の日曜日に、息を引き取ったそうです。
特に介護も必要とせず、20歳以上年下の親友で女流作家の方が、亡くなる日のランチを、一緒に摂ったそうです。
その時は、リッツのレストランで、ハムサラダを召し上がったというエピソードが残っています。

シャネルは甘党だった?

自身が広告塔であったため、常に小食でスタイルをキープしていたそうです。
一方で、モンブラン好きで、パリのモンブラン専門店《アンジェリーナ》のサロンに、通い、時間を見つけてはモンブランを食べていたそうです。
頭の良い人は、甘党だと聞きますが、シャネルもその一人だったのですね。
シャネルの場合は、節度をわきまえていたから、スイーツを嗜んでも、生涯スレンダーなスタイルをキープできたのでしょう。
亡くなる前年に発表したのが、シャネルの香水『No.19』。
晩年まで、認知症になることもなく、歴史に残る香水を発表し、亡くなるその日まで、友人とランチを楽しんでいたシャネル。
ホテル・リッツのスイートのクローゼットには、シャネルスーツが2着だけしか、かかっていなかったそうです。
良いものを大切に、着まわしていたのですね。

 

さいごに

こうしてシャネルの生涯を見ていくと、すべてにおいて、メリハリがあることがわかりますね。
私がハイブランドとしてのシャネル製品を購入することはないと思いますが、シャネルの生き方は、ヤル気スイッチを入れる時に、読み返したいと思いました。

 

 

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